彼が歌ってさえいてくれたら

私を救ってくれたのはすばるの歌 それだけは変わらない すばるが安心して笑って歌えるなら正直場所なんて関係ない

 

そこがZeppでも京セラでもアメリカでも路上でも聞きに行くから

 

去年の7月、ジャムで京セラのアリーナ4列目で彼を見た後に呟いてた。これだけが私の中で信じられる。どこでも聴きに行くよすばるくん。

渋谷すばるが関ジャニ∞からいなくなる

あの日、ツイッターを見ていたら「関ジャニの会見について巡る思いがあるので後でツイートする」とKAT-TUNのファンのフォロワーさんが呟いていた。そのまま検索すると、自担の脱退発表をiPhoneの小さな画面で見てもうた。

鳥肌が止まらなかった。情報を追って、下に下にスクロールして、初めはコントだと思った。エイトらしい壮大な嘘やろ?って思いながら、それでもどこを見ても、それは事実みたいで、とても信じられない。

それから、気を抜くとずっと泣いてた。電車の中で、晩御飯を作っているキッチンで、朝起きて現実だと実感して、ジャムのパンフが不意に目に入って。なんでこんなに泣けるんやろう?

多分それはきっと「すばるが永遠だと言ってそう信じさせた7人の関ジャニ∞が彼自身の手によって終わった」からやと思う。私がどれだけエイトに時間を割けなくなっても、彼らは私の知っているように笑っていて、いつでも私はそこに戻って元気をもらえると無条件に信じてたから。それがすばる自身によって否定されたことがただ苦しい。なんで、と問いかけられる距離にもいないから尚更。

 

 

 

という感じで3日ほどぶっ続けで泣き続け、途中ではたと気づいた。でも、確かに私は吼えるように歌う彼を見る度に、この人は本当にジャニーズの1グループのセンターで終わる人なのかと思ってた。渋谷すばるの歌はそれほど私の胸に迫ってきたし、すばるはずっと「音楽がしたい」と発信してた。

記者会見を初めに見た時も「嗚呼ついにこの日が来てしまったんだ」と呆然としながら思った。まるで予期してたみたいに。周りのエイターには聞いてないけど、そう思った人は他にもおるんちゃうかな。「きっと6人も必死で止めたけど、すばるくんが決めてもうたから止められへんかったんやろう」「なんで、すばるは最後まですばるらしく辞めてしまうんやろう」どこまでも私の好きだったすばるが画面の中で話していて、嫌えもしなければ、むしろその不器用さと実直さに愛おしさが募った。

 

 

もちろんあの7人で笑い合って、ふざけている姿も好きやった。アイドル然として踊っている姿も。コンサートで彼らを見ると、胸がときめいたし無限の可能性を感じたのも本当。

でもそれ以上に私は、どん底にいた私を救ってくれたすばるの歌を愛していると思う。きっと一生応援するのは渋谷すばるで間違いないと決めてる。それだけは変わらない。死にそうに苦しかった時に救ってくれたのはすばるの歌と言葉だった。やから、きっとエイトを離れたすばるのことも応援する。きっと。

36歳の渋谷すばるへのラブレター

すばるくん、あなたを好きになってから四年の月日が流れました。一度わたしはあなたから離れてしまったけれど、またあなたに引き戻されました。忘れもしない七月二十二日の京セラのアリーナ席。十二月のあなたがわたしに向かって歌ってくれたこと。わたしは、あなたに出会わないわたしがもう想像できません。きっとその人生は、一人の人に熱中する楽しさも辛さも幸せも分からない人生だったのでしょう。そのどちらかが幸せでどちらが不幸せなんて決められないけれど。いつもしんどい時に支えてくれるあなたの歌は、わたしのなかで本当に尊く美しい。死にたいほどつらい時に支えてくれてありがとう。毎日泣き暮らしていたわたしに希望を与えてくれてありがとう。いつも背中を押してくれてありがとう。いつも味方でいてくれてありがとう。それだけの感謝を返せているのかは分からないけれど、本当にあなたはわたしの一生涯のヒーローです。揺るぐことのない。あなたの歌を宝物にして、わたしは生きていく。あまりにも遠い距離に呆然とする夜も、あなたが信じられなくて泣いたまま迎える朝も、届かないと思い知って胸に穴が開いたように感じる日もあります。でも、あなたの言葉を胸に踏み出した一歩も、あなたの歌に救われた夜も、あなたの文章に掬われた感情に気づいて泣く朝も、あなたの姿に喜ぶ日も、確かにあったのです。あなたに貰った感情、言葉、歌、すべてわたしの宝物です。渋谷すばるの言葉が紡ぐ、渋谷すばるの温度が包み込む、渋谷すばるの音楽が聞こえる、渋谷すばるの世界をわたしは愛しています。この世界に生まれてきてくれてありがとう。いつまでもすばるがすばるらしく生きてください。どうか、これからも渋谷すばるが心ゆくまで歌ってそれがわたしに届く世界でありますように。

さあ、大事な日を大切に過ごします。

元気が出るSONGで本当に元気が出た話

元気が出るCDの初回限定盤Aの「元気が出るSONG制作ドキュメント」をやっとこさ見た。やっと関ジャニズムの彼らと今の彼らがつながった気がしてとても落ち着いた気持ちになった。

 

わたしはリサイタルからエイタメの2年間、エイトから離れていた。そんな状況で、今年の夏のツアー「ジャム」のアリーナ4列目に参戦できたことはエイトが「俺ら頑張ってるから帰って来いよ」と言ってくれたのだと思い込んでいる(笑)でも、参戦して湧いていた気持ちが落ち着いた次の感情は「3年前のエイトと今のエイトとの差についていけない」という置いてけぼり感だった。何とも言えない違和感。35歳になった自担への違和感。7人で丸めて大人になっていた彼らへの寂しさ。「大人として仕事としての会話を増やそう。今までのままでは大きくなれない」と悔しさを滲ませて話す彼らのわちゃわちゃはもう見れないのかなという不安。

 

わたしが離れていた2年間の間に、渋谷すばるは33歳から35歳になり、わたしは16歳から18歳になった。その差は思っていたよりも大きくて、大きく成長していた彼らを生で見たわたしは途中でどうしようもなく悲しくなって、寂しくなって、泣いた。すばるが叫ばない、すばるが魂を削って歌わない、すばるが落ち着いて余裕ぶちかまして歌ってる、すばるが道を見定めている、私と一緒でしんどくて心を閉じがちで悩んで苦しんで壁にぶち当たっていた渋谷すばるが。身勝手な話だけど、わたしは本当にそう思った。わたしは渋谷すばるのことを自分と同一視してみていた部分が多分にあったので、特に苦しかったんだと思う。彼の2年間をどうしても知りたくなって、この差を埋めようと必死になった。

 

そこで出会ったのが「元気が出るCD」の「元気が出るSONG」だった。受験のときに少しでもエイトと繋がっていたくて、何のCDに入っているかもいつ発売したかもどんな経緯で出来たかも知らなかったけれどよく聞いていた曲。その曲の制作ドキュメントが入っているというから買うしかないと思いたって、一人暮らしの部屋で夜中に見た。

 

エイトはズルいね。渋谷すばるはいつだってズルイ。だってこんなにも心をわしづかみにして放してくれない。「ずっと一緒」なんてあるわけないと知っているくせに、「ずっと一緒みんな」と叫ぶように歌ってしまう。パンツ一丁の姿で一人暮らしの部屋でステッカーだらけのパソコンの前で34歳の彼が「ずっと一緒」と叶わないことを知っていても歌う。4年前にわたしが見た、眉間にしわを寄せて赤コード巻きつけながらマイクを祈るように持って叫び歌う彼の片りんを見つけてしまう。たまらなくなった。同時にやっと彼らが大人へと成長していく過程を見つけられた気がして、安心した。

 

多分彼は魂を削って歌うことによって苦しみを表現していたことは確かだと思う。そして「ずっと一緒」の世界を実現したいことも。そのために現実的に動き出したのは2017年付近。大人になって仕事として取り組むことで「関ジャニ∞」の規模を大きくすることでしか、彼らは生き残れない。それはアイドルとしてジャニーズ事務所のタレントとして芸能人としての鉄則だろう。SMAPを見ていて危機感を感じたのはファンだけでは絶対にないはず。わたしは彼のファンでしかないので予想なのは重々承知です。でもこうでもしないと彼らアイドルとファンであるわたしの距離に耐えられなくなってしまうので。

 

どうか彼らが、エイトとeighterの世界を守れますように。渋谷すばるがいつまでも幸せでありますように。

わたしの音楽と渋谷すばるの音楽

 わたしはジャニーズには無縁の音楽一家で育った。父がトロンボーン、母がクラリネットを吹いていたり、家にはクラシックからポップスから吹奏楽からCDが大量に山積みになっていたり、知り合いの演奏会や父が参加する演奏会に招待される機会が時折あったり、音楽が身近に感じられることが多かった。わたしにとって音楽は音そのものの質だったし、音の重なりの感覚だったし、言葉では表せないところで感じるものだった。

 

 わたしがジャニーズにハマったのは後にも先にも関ジャニ∞だけ。しかも、渋谷すばるというセンターボーカル。このことには、多分にわたしの育った環境の音楽環境が影響していると思う。

 

渋谷すばるの歌声」は音として本当に美しく響き、真っ直ぐに伸び、emotionalだ。歌詞が重要な意味を持つこともあるけれど、根本的にわたしは " どれだけ音が心に響くか " で音楽を判断している気がする。その点で、渋谷すばるは素晴らしい音楽を聴かせてくれる。それは彼の先天的な声質だったり彼の持つ心情的背景だったり膨大な量の練習だったり考え抜かれた結果生み出されたスキルだったりはするだろう。でも、そんなことは ( 良い意味で ) どうでもいい。

 音楽に限らないとは思うけれど、良いものの裏には何があっても構わない。ステージでどんなパフォーマンスを見せてくれるか。どれだけそれに対して心を使えるのか。わたしの中の音楽は、心を突き動かすもの。それを生み出す文化的背景や今までの苦労やこれからの成功なんかは知らなくても良い。それを知らなくても、音さえあれば何かは伝わり、心を動かす。極論、バンドマンは不倫をしていても離婚をしても隠し子がいたってどうでもいい。だって音楽が素晴らしいというただ一点で何もかも許されるから。

 

 渋谷すばるは人間だ。アイドルという特殊な職業についているかもしれないけど、それによって恋人を隠さなければいけないかもしれないけど、SNSも利用できないけれど、ただの1人の人間だ。だからこそ、わたしは彼の音楽に惹かれる。

 

 彼が好きな女のタイプの話をするよりも、好きな音楽の話をしているところを見たい。歌についてどう思っているのかを聞きたい。わたしは音楽を語ることに年齢も性別も人種も関係ないことを知っている。何が好きか、何が心に響くのか、それさえハッキリしていれば誰でも何でも話すことができる。同じ熱量で、同じ感情の量で、同じベクトルを向いて。

 渋谷すばるとわたしが音楽について語り合うことは悲しいことに絶対にない。だからわたしは彼のCDを買い、テレビを見、雑誌を買い、ファンクラブに入ってライブへ行く。彼の音楽を感じたいから。この一点だけは忘れてはいけない。

 

20170830

2017夏パンフの渋谷すばるがズルい

自分には何かなくちゃいけないってみんな思いがちだし、なかったら自分には価値がないって思いがちやけど、そんなことないんだって、ファンのみんなに伝えたかったんです。投げやりな生き方はしないで、なんにもなくていいから一生懸命生きようぜって。あきらめない、何かのきっかけになってくれればいいなって思います。僕自身が一時期そんな感じで、人生をあきらめきってたときがあったから、余計にね、そうじゃないぜって伝えたくなったというか、今の関ジャニ∞だったら伝えてもいいんじゃないかって思ったんだよね。

 

 7月22日、京セラドームで4年ぶりに渋谷すばるが歌う姿を見たとき「変わったなあ」と感慨深い気持ちになった。でも、それにしても、パンフレットのすばるくんのお言葉を見た瞬間わたしの心を席巻したのはいつの間にすばるくんこんなこと言えるようになったの!?!?!?!?という思い。もちろん良い意味でね。

 

すばるくんが諦め切った目をしていた時期を映像や先輩エイターさんの言葉、渋谷語録のバックナンバーを通してだけど知っている。4年前の関ジャニズムの公演のときにも、彼はその時期をまだ引きずっていたとも思う。すばるが暗い声で世の中のことを拒否して自分の殻にこもりながら歌っていた時期があったことを知っていて、そのうえで戦うように命を削るように力を振り絞って歌っていた姿を目にしていた。だからこそ、アイドルであることを良くも悪くも大切にしなかった彼がこの文章を「やっぱり僕らはアイドルなんですよ」と題してこんな文章を書くことを、本当にズルイと思ってしまった。


彼は自分で暗い部屋から出て、傷だらけになりながら戦って、自分なりの答えを見つけたのだろう。すばるくん、本当に強くなったんだね。わたしの知っていたすばると今のすばるとのギャップがすごくて、嬉しいと悔しいがないまぜになって泣いたよお姉さん。

 

いつまでも彼らは同じところで止まってはくれない。そのことを無残にも突き付けられたようで、彼らはわたしの知らないところ(わたしがエイトを離れていたここ2年)で前に進んでいただけなのに理不尽に裏切られた気分になった。それでも、その進んだ先からエイターに出戻った私にさえ彼らは語りかけてくれるから、たまらなく愛おしい気持ちも湧いてくる。でもやっぱりエイトの、渋谷すばるの変化をこの目で見られなかったことは本当に悔しい。だから、もう2度と彼らから目を離さないでおこう。彼らの変化を一瞬でも見逃したくない。彼らの成長をリアルタイムで一緒に感じたい。これから先ずっと彼らがアイドルであることを辞めるまでeighterでいると決意した2017年の夏でした。